花咲かりの日々〜bloomday〜

毎日が花咲くように気分良く生きるヒントをお届けします

物を大切にすると良いわけ

物を大切に使うと良い、とは言われるけれどなぜなのでしょうか?

私の経験上、同じ月日を経ているのにすぐ汚れていく物、ずっときれいな状態な物、それぞれあるのです。
汚れたり、汚くなっていくものは、ついには破れたり壊れたりしていきます。

私がそれに気づいたのは、中学生のときでした。同い年の男の子と内履きの汚れ具合が全然違う、と思ったのです。
男の子だからそれなりに動くし、比較はできないのかもしれませんが、それにしても1年も経っていないのに状態が全然違ってくるのです。

中学生だから無意識だと思うけれど、物をどう扱うかと言うのは実際大きな違いが出るのだと感じました。

そしてこれは信じがたい話かも知れませんが、私にあった出来事です。

私が車を初めて買った時、それは初めての会社に就職しようというときでした。
気に入った車があり、安く買えないか調べているときでした。

たまたまセール期間があり、立ち寄ったディーラーに置いてあった展示車がまさに検討していた私の好きな車でした。
展示車のためか、スルスルと値引きをしてくれ、かなりの好条件でした。

でも一軒目だったこともあり、他のディーラーも見にいってみることにしました。

そして他のディーラーで新車を見積もってもらうと、前のディーラーと比較するとほとんど値引きはされない、といった具合でした。

前のディーラーはこれだけ値引きをしてくれたと伝えると、営業の方は「それは新古車だからだと思いますよ」と顔には驚きの色を隠せない様子でした。

そういう訳で、最初に出会った車がかなりの好条件なのを再確認したのでした。
ちなみに新古車とは、展示や試乗車などでほとんど走っていない車が中古車として売り出される車のことです。

私が最初に出会った車は展示車で、ディーラーに来るまでの距離しか走っていませんでした。

そうして私はそのお目当ての車を購入することにしました。

無事車も購入し、会社に行けるようになり順調かと思いきや、入社一年目で車の事故に巻き込まれるようになったのです。

交通量が多い車通りを通勤していたのもあると思いますが、なぜだか相手からぶつかられてきます。

1度目はただの事故だったかと思って済ませたけれど、2度目に事故にあった時には不安になりました。

私の意識に、また事故に会うんじゃないか、という思いが刷り込まれてしまい、どこかに不安が付き纏うようになった時、神社で車のお祓いをすることにしました。

そうして、車のお祓いをしてくれる神社でお祓いをしました。
お祓いはすごく簡単で、車の前で神主さんが大麻で祓い、祝詞を上げるといったものでした。これで終わり?と思うほど短時間であっけなかったのを覚えています。

でも何かスッキリしたように感じました。
そうして家に帰り車の中にいると、ある感情というか感じが私の中に入ってきました。

私の車は展示車で、色々な人に試乗されていました。
その中では、悪いことも言われて来たのです。
「高い」とか「乗り心地がいまいち」とか。
そんなネガティブな言葉に車は傷付いていたのでした。
そんな「悔しさ」「やるせなさ」のような想いが事故を引き寄せていたのだと理解できました。
「私はダメなんだ」という想いが車自身をも傷つけていたのです。
私も購入のときには値引きを引き出すためにあれやこれやといらない、など言ってしまったのですごく申し訳なく思いました。

これは私が受けとったことで、確認するすべもありません。
でもそれが分かった後には、車が何だか穏やかになったように感じました。
車が気持ちを理解してくれて喜んでいるようにも感じました。

以前の車は勢いが荒く、思えばグレているようでした。

その出来事があってから、元々車に名前を付けて乗るような私でしたが、一層車に親近感が湧いて友達のように接するようになりました。

車は人間が作ったものですが、人工的なものにも何か心や感情が宿るのではないかと私は思っています。
そして物にも意識のようなものがあると思っています。

だから物を大切にするとそれに答えてくれるのではないかと思います。
しかし、そんな概念がなく接していれば、物はモノでしかないかもしれません。

そして物は作った人間の為に答えてくれているのではないかと思います。